ある親子の会話
目の前にお母さんと小さな男の子がいました。
男の子:「お母さん、あの人車いすに乗っているよ」
お母さん:「そうね」
この親子の会話はこれで終わりました。この会話を聞いて、嬉しかったです。
こういう場合、「そんな失礼なこと言っちゃいけません」といった類の言葉が大人から出てくることって多いのではないでしょうか?確かにそれは車いすに乗っている方への配慮から出た言葉です。ですがもう一方で、車いすに乗っているのが「自分たちとは違う」「特別だ」といったニュアンスを子供に与えてしまうこともあるのではないでしょうか。
このお母さんの言った「そうね」は、男の子が「あの人帽子をかぶっているよ」「あの人走っているよ」と言った時と同じ口調の「そうね」だったと思います。
このお母さんは、障害を抱えた方に対して「自分たちとは違う」という意識ではなく、その障害を、その人の個性として捉えているのでしょう。車いすに乗っているのも個性、背が高いのも個性、勉強が好きなのも個性です。みんな横並び、どれが特別ってことはない。
女の顔にキズ
日本は昔から、女の子が顔にキズなんか作ったらお嫁に行けない、とか言いますよね。とにかく女の顔にキズはタブーです。でも、私の顔には数か所あるんです、キズが(笑)
乳幼児の頃に出来たキズなので、物心つくころには既にあったわけなのですが、そのことで直接「ヤクザ」などと言われて傷つくことはありましたが、それ以上に辛かったことがあります。それは「顔にキズがあって可哀想」という人々の顔つきや態度でした。
私の顔のキズに気付いてハッと目をそらす人
「あの人顔にキズがあるよ」「そんな事言ったら可哀想だよ」という会話
「顔にキズ作ったらお嫁に行けない~」と誰かが冗談で言ったあと、私の顔にキズがあることに気付いた時のみんなの気まずそうな顔・・・
「顔に何か付いてるよ」と言って取ってくれようとしたけれど、それがキズだと気づいて「ごめんなさいっ!」ってものすごい悪いことをしたかのように動揺する様子
まぁ、挙げればきりがないですが、タブーを背負っている私は、ある意味「特別」で「可哀想」な人なんですよね。
キズは私の個性
子供の頃、よく一緒に遊んだ友達が、「可哀想だから、そのキズどうしたのって聞いちゃダメよ、ってお母さんに言われたんだ」と私に言いました。顔にキズがあるのはそんなに同情されなければいけないことなのか、と悲しくなりました。
この子のお母さんはとても優しくて良い人でした。自分の子供が私に失礼な事を言わないように、教えたのですよね。その気持ちは分かります。
でも私はその友達に聞いてほしかったです、そのキズどうしたの?って。そうしたら、赤ちゃんの時にガラスに突っ込んでね、で話は終わったはずです。その会話に何の負の感情はない。
キズのことを聞くのが悪いんじゃない、キズを特別視している態度に傷つくんですね。私には顔にキズがある、A君は背が高い、Bさんはピアノが上手だ、みんなそれぞれの個性だと普通に受け止めてもらいたかったです。
障害はその人の個性
イギリスに移住して9年が経とうとしています。この間、あれほど日本で私を苦しめていたキズのことで悩むことは一度もありません。なぜなら、ここではキズはキズ、それ以上でも以下でもない。だから可哀想と思われることもないし、キズを特別視することもない。
今では、このキズは自分の特徴の1つだと捉えられるようになりました。それは一重にこの社会のお陰だと思っています。
冒頭での親子の会話は、ここイギリスでのことでした。こういうお母さんに育てられた子供は、障害をその方の個性として捉えていけるようになる確率が高いでしょう。そしてそういう教育が社会を作っていく。
私の母は難病に指定されている網膜の病気を持っています。その母を通して日本の社会に感じることは、目が悪いことを母の特徴だと受け取って欲しい、ということです。哀れに思うとかではなく、ごくごく普通に接して欲しい。そういう啓蒙活動が行われて、障害を持っている方々が心地よく住める社会になればいいなぁと感じています。