スコットランドの国民的ヒロイン フローラ・マクドナルド

Flora MacDonald

スカイ島北東部に位置するトロタニッシュ半島、その北端にある墓地に、ひときわ目をひくお墓があります。フローラ・マクドナルド、イギリスで有名なスコットランドのヒロインのお墓です。

フローラ・マクドナルドのお墓

どうして彼女はヒロインと呼ばれるようになったのでしょうか?

危険を顧みず、チャーリー王子を追っ手から守った

時は18世紀半ば、スチュワート王朝のチャーリー王子が、王朝再興をかけ政府軍に反乱を起こします(ジャコバイトの反乱)。しかしその戦いに敗れたチャーリーは追われる身に。厳しい逃亡は5ヶ月にも及びました。

その逃亡の一端を助けたのが、フローラです。チャーリーを彼女の召使として女装させ、一緒に船でスカイ島へ渡り、チャーリーが政府軍の手に落ちるのを防ぎました。

フローラは当時およそ24歳のうら若きお嬢さんです。国中に追手が回っている中、危険を顧みず夜の海を渡るその精神、勇気ある芯の強い女性だったことが窺えます。

フローラ・マクドナルド 出典:The flight of Bonnie Prince Charlie by Hugh Douglas & Michael J. Stead

実際、彼女は多才ではつらつとした女性で、何よりも人を魅了したのは、良識や謙虚さ、思いやりある温かい人柄だったそうです。

フローラのその後

さて、チャーリーは無事フランスへ逃れることが出来ましたが、フローラは政府軍に捕まりロンドンで約1年間拘束された後、釈放されます。釈放された彼女を世間はヒロインとして迎えました。

政府軍から見れば反逆者であるチャーリーをなぜ助けたのかと聞かれ、彼女はそれが誰であれ、窮地に追い込まれた人を見れば同じようにしただろう、と答えています。

その後28歳で結婚しスカイ島で暮らし、7人の子供に恵まれました。1774年にアメリカへ渡りますが、そこでは独立戦争に巻き込まれ、夫が捕虜として捕まるなどの試練の後、夫婦でスカイ島に戻って来ます。

1790年に亡くなり、葬儀には3000人以上の人が参列したと言われています。

結局、彼女は亡くなるまでチャーリーと再会することはありませんでした。

出典:

◆The flight of Bonnie Prince Charlie by Hugh Douglas & Michael J. Stead
◆History of Skye edited by Cailean Maclean

フローラのお墓

フローラはKilmuirという集落にある、海沿いのとても見晴らしの良い墓地に眠っています。

このエリアは、海越しにウェスタンアイルズが見える素敵な場所です。夏の夜は素敵な夕陽も楽しめます。ドライブの途中、フローラのお墓を訪ねてみてはいかがでしょうか。

Kilmuir墓地から海を眺める。中央高くそびえるのがフローラの墓碑。

Kilmuir墓地

・スカイ島中心地、ポートリーより車で約40分
・駐車スペースあり

チャーリー王子とフローラのスカイ島への逃避行が元になった歌がスコットランド民謡、『スカイボートソング – The Skye Boat Song』です。